僕の乗った電車が、ホームに滑り込む。
やはり大晦日ともなると、ホームに人が少ないですね。
窓際に立っていた僕は、ボーっと外を見ていた。
そして、小さな子供の手をつなぎ電車を待つ女性に目がとまった。
あれ?この女性って・・・でもまさかなぁ・・・
向こうも僕の存在に気付き、驚いた顔をしている・・・
やっぱりそうだ。
たった一日ですが、僕の彼女だった、山瀬幸子さん
・・・そう、さっちゃんです。
こんばんは、御主人様28号こと、隆文です。
―――――――――12月31日(木)―――――――――
「山瀬さん・・・?やっぱり山瀬さんだ。 あっ、ゴメン今は名字が違うのか。」
「ううん、山瀬に戻ったの・・・。やっぱり村下君ね、久しぶり約3年ぶりだっけ、元気だった?」
苗字が旧姓に戻ったって事?離婚?
「あぁ元気だって。そうだな、3年ぶりかな。あっ、この子って山瀬さんの子供?」
「うん、優って言うの。もうすぐで2歳になるんだ」
「目が似てるねぇ、美人になるなぁ。」
「ふふ、ありがとう、村下君。でもびっくりした。まさか東京で知り合いに会うなんて、思わなかったから。いつもこの地下鉄使うの?」
「あぁ、そうだよ。山瀬さんこそどうしたの、東京で会えるなんて考えもしなかった。」
「私? 渋谷に買い物に行くところ。今ね、埼玉に住んでるの。さいたま市で叔父さんが会社を経営しているから、そこの事務員として働いてるんだ。ほら・・・大学中退して結婚して、揚げ句の果てに離婚だなんて、松舞帰ると周りの視線がきついでしょ・・・」
「そっか、色々大変だったんだね、山瀬さんも・・・」
やっぱり、離婚したんだ。さっちゃんを捨てるなんて、一体どんな奴なんだ!
「まあね・・・自業自得なんだろうけどね。でも、優が居るからいつまでも落ち込んでいる訳にはいかなかったし・・・。」
「相変わらず、強いんだな、山瀬さんは・・・」
「そんな事無いって。んで、村下君の方はどうなの?彼女出来たの?」
「あぁ、年上なんだけど、すごく甘えん坊の彼女がいるよ。」
「へぇ~。ねぇどんな感じの女性? 同じ人を好きになった物同士、興味が有るなぁ」
「何だよ、別に良いだろ、そんなの。」
「だって、気になるじゃん。その人、背高いの?髪型は?有名人に例えると誰に似てる?」
「ったく。詩音は、背は少し高めかな。髪はロングでストレート。有名人に例えるなら、う~ん・・・思い浮かばないなぁ」
「へぇ、詩音って言うんだ、すてきな名前だね。幸せそうで良かった。」
少し伏目がちになった、さっちゃんが気になり、俺も聴き直した。
「そう言う山瀬さんはどうなん?」
「う~ん、幸せとか幸せじゃないとか、言ってる余裕が無いかな。でもね、優と過ごしている時は、幸せかな。この子を産んで良かったって。あのね親戚の会社に勤めてるもう一つの理由はね、育児にかかる時間を、色々融通利かせてもらってるから、っていうのも、有るんだよね。」
「ふ~ん、子供が生まれると、そんなもんなんだ。『女は弱し、されど母は強し』だな。」
「何それ?初めて聞いたわ。でも確かにそれ当たってるかも」クスクスとさっちゃんが笑う。
その笑顔は、間違いなく18歳の、あのさっちゃんのままだった。
一気に2年前の気持ちが蘇る。
僕は、さっちゃんを見つめる。
もし再会が半年早かったら、僕は思いのままを口にしていた事だろう。
詩音と出会い、心の傷は随分と癒されたが、それまでの自分は表には出さなくても、さっちゃんへの思いを引きずって生きていた。
「突然さっちゃんが、僕のアパートを尋ねて来るかもしれない」、「いや、僕が大阪中を探せば会えるかもしれない」、そんな事ばかり考えていた、弱い自分が居た。

「村下君・・・?」
山瀬さんに話しかけられ我に帰る。
「ごめんごめん。」でもその先の言葉が見つからない。
電車が池尻大橋の駅に着いた。
次の渋谷に着いたら、またさっちゃんとお別れだ。
ひょっとしたら、これがさっちゃんに会える、本当に最後のチャンスかもしれない。
そう思うと、このまま何も言わずに、別れるべきかどうか悩んだ。
お互い無言のまま、電車は走り続ける。
今、心の奥底に仕舞い込んだ思いを、彼女に伝えたら僕はきっと楽になれる。
でも、その言葉によって彼女は又苦しむかもしれない。
そして、彼女に抱いていた淡い思いが、今、また僕を苦しめる。
あの日、さっちゃんが僕に言った言葉が蘇る。
「素敵な思い出は、素敵な思い出のまま、心の中にしまっておきたいの。遠距離恋愛になって、辛い別れで汚したくないの。」
遠距離じゃなくなった、会おうと思ったらいつでも会える距離、なにより手を伸ばせば触れ合える距離に、彼女がいる。
でも、やっぱりその手を伸ばす事は出来なかった・・・素敵な思い出のまま、心の中に留めておく方が、きっと幸せなんだと気が付いた。
彼女には優ちゃんと言う娘がいて、僕には詩音がいる。それだけでも十分、あの頃とは違うのだ。
それぞれが、お互い知らない所で幸せに暮らす・・・それが一番なんだ。
この先も僕は、街角でさっちゃんの姿を探すのかもしれない、でも、探している瞬間が切ないけど幸せなんであって、実際会うと少しずつ変わっていくお互いに愕然とする。
あの頃の二人はもう居ないんだ、何も考えずに互いの名前を呼べたあの時、そして心の全てが相手の色に染まっていたあの時の二人は・・・
静かに電車がホームに滑り込む。
もう一度、彼女の顔を見つめる。
彼女の瞳には、涙が溢れていた。ひょっとしたら、彼女も同じ思いなんだろうか?でも、それを確かめる勇気は今の僕にない。

地下鉄のドアが静かに開く。
「それじゃあ、たっくん、いつまでも元気でね。」
「さっちゃんも、幸せにな。」
互いの名前で呼び合う・・・それが僕らに出来た、最後の思い出作りだった。
さっちゃんは優ちゃんを抱きかかえると、年の瀬の忙しない人ごみの中に、吸い込まれる様に消えていった。
別々の道を歩み始めた二人、それぞれの歩みの中で、幸せになろう。この空の下、どこかでさっちゃんと優ちゃんが笑顔で暮らしている。僕では成し得なかった幸せを、二人は掴むことだろう。その笑顔を思いながら、僕は街角で二人の姿を探そう、幸せな笑顔で手をつないで歩く二人の姿を。


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