「お先に失礼致しま~す」
私は、事務所のドアを閉めて、駐車場に向かって歩いた。
静かな駐車場に、砂利を踏み締めて歩く私の足音だけが響いています。
「え~っと、車のキー、キー、キーっと」
大きめのトートバッグの中に手を突っ込み、ガサゴソと探した。
指先に、フワッとしたマスコットが触れる・・・有った有った
キーを取り出し、先端に付いている熊のマスコットを、目の高さに持って行く。
「ただいま、田中君」
熊のマスコットに静かに話かけてみる・・・こんばんわ、神田瑞穂です。
―――――――――9月21日(水)―――――――――
やっとで会えない日々に慣れ始めた所なのに、お盆に再会してからと言うもの、切ない気持ちが前にも増して強くなった気がします。
現実って残酷ですよね。
やっぱり、一緒に花火大会に出掛けたりしたのが、いけなかったんでしょうか?


あれは、お盆休みの始まる前日の夜でした。
♪♪♪
「んっ、メール? 誰だろう、こんな夜中に?」
[神田、夜中にごめん。もう寝てた? あのな明日の夜、お前暇か? 予定無かったら、一緒に雲山の花火大会見に行かないか?]
田中君からのメールです。
もちろん即、OKのメールを返信しました。
そして少し考えて、追加のメールを打ち込んだ。
[度々ごめん。良かったら、朝から何処か出掛けない? 私、車出すから大山でも行かない?]
もっと、可愛い文面を打ち込めば好感度もアップするかもしれませんが、元々恋愛に対して免疫の無い私には、こうやって誘うだけでも、ものすごい大業です。
・・・考えてみたら、田中君も私を花火に誘う事自体、大業だったんじゃないかなぁ?

程なくして返事が届きました。
[いいんか? 大山だったら、蒜山まで足伸ばさないか?観覧車やジェットコースター乗ろうぜ]
ん? 蒜山高原センター? デートとしては微妙なスポットですが、デートの定番の観覧車って言ったら、近隣では高原センターですもんね
[私、明日から盆休みだから、暇なんよね。蒜山OKだよ、何時に待ち合わせする? そうそう、もうこんな時間だから、お弁当の材料が無いんだよね]
う~ん、もう少し早く蒜山行きが分かっていたら、会社の帰りにお弁当の食材とか買い込んで帰ったんですが。
妹の葉月も夏休みだから、お弁当になりそうな材料が無いんですよね。


「おはよう♪ 田中君」
待ち合わせの松舞駅に着いてみると、田中君の方が先に来ていました。
まだ、待ち合わせの10分前なんですけどね。
「おう、神田おはよう。あのな、お前のアイディアに易々と乗ったんだが、お前の運転って大丈夫なん?」
「もちろんよ。私の運転技術信用してないなぁ」
「う~ん、ちょっとな。まぁ、安全運転で頼むわな」
「もちろん♪ さぁ、乗った乗った。」

FM山陰を聴きながら、蒜山を目指して、車は高速を東にひた走ります。
「んでな、バイト先の店長が、結構自己中なんだよな。この前なんか、店長の言う事が二転三転しちゃって、スタッフ全員振り回されたんだから。・・・神田の方は、仕事順調か?」
「ん~覚える事だらけで、毎日パニック状態よ。でも、お姉ちゃんの友達が同じ事務所に居るから、いっつも可愛がってもらってるよ。」
「そうかぁそれなら、精神的には少し楽だな。 あっ、そろそろ米子バイパスが終わるぞ、米子道入んなきゃいけないんじゃないか?」
「ん~っと、ナビどうなってる田中君?」
「え~っとなぁ・・・一番左車線からグルッと回って、米子道入る様になってるぞ。」
「OK、左車線ね。どう、私の運転? 全然スムーズに走ってるでしょ。」
「おう、正直驚いた。なぁこれ、何って車?」
「これ? この車はダイハツのコンテって車だよ。ほら、カクカクシカジカって奴よ。」
「あぁ、あの車ね。結構、良い車だなぁ、軽っぽくないし。」
「そうでしょ、私も気に入ってるんだ。あっ、パーキングでジュースでも買わない?」
「おう、良いねぇ。ついでにおやつも買い込もうぜ、実は朝飯まだなんだよな。」
「へへっ、実は私も。二度寝して起きたら七時回ってんだもん。妹も昨日まで合宿で、今日から盆休みだから起きて無いしさ。」
「おっ沢井合宿かぁ、懐かしいねぇ」
「ううん、今年は森山さんの企画で大山合宿だったんだって。だから、今回大山行きたくなったのよ。あっ、結構パーキング一杯だね。」
「へぇ大山合宿とは、うらやましいねぇ。あっ、あそこ駐車場空いてっぞ。」
「うん、了解」私は、少しぎこちないながらも、駐車場に車を止めた。


お互い朝食の買物を済ませ、大きな買い物袋を持った田中君と、パーキングの売店を出る。
「ちょっと、買い過ぎじゃない田中君?」
「平気平気、これ位食えるって。・・・うわぁ~今日も朝から暑いなぁ、こりゃ蒜山着く前に干からびちゃうぞ」
「ちゃんとUVケアしてきて良かったぁ はい、ドア開いたよ」
「ほいほいっと。うわぁぁ取りあえずエアコンかけようぜ、車内がムンムンしてるわ」
「そうね、エアコンかけようね・・・あっ田中君、携帯ダッシュボードの上に置きっ放しだけど大丈夫?」
「うぉっ、完全に熱くなってるわ。・・・あっOK、大丈夫みたいだぞ。」

彼の携帯の脇で揺れている、熊のぬいぐるみが目に留まったSH3G0607.jpg

「・・・ねぇ何?その熊のマスコット? 彼女にでも貰ったの?」
「馬鹿、彼女なんていたら、今頃お前と遊んでる訳無いだろ」
「まぁ確かにね、田中君に彼女が出来るなんてアリエナイしね。じゃあ、一体どうしたのよ、そのマスコット」
「あぁ、大学の吹奏楽サークルの新歓コンパでやったビンゴゲームの景品。捨てるの可愛そうだし、何となく携帯に付けてみた。なかなか可愛いだろ?」
「超キモいんですけど。まさかして名前なんて付けてないわよね?」
「う~ん・・・流石にそこまでビョーキじゃないぞ、俺は。何なら、瑞穂って名前付けようか? 『何で俺に彼女が出来る事がアリエナイんだよ。うりうりっ』」
そう言いながら、熊のほっぺたをグリグリ押してます。
「こりゃ、ストレス発散に良いかもな」
「ちょっと何で私の名前付けるのよ。って言うか、可哀そうでしょ熊がぁ」
「そっかぁ?」
「んもう、可愛がらないんなら、私が保護しちゃうから、その熊さん」
そう言いながら、私は田中君の携帯を奪い取り、熊のマスコットを外した。
「あっ、おい。・・・まぁ良いかぁ。正直、ポケットに携帯しまう時、大き過ぎて邪魔だったんだよな。大切にしろよな」
「うん、ありがとう・・・じゃあ、この子の名前は田中君で決定ね。えぃえぃ」私は、指の腹で熊のお腹を押してみた
「あっ、馬鹿。くすぐったいだろ」
「何で、あんたが反応すんのよぉ」思わず私は、笑ってしまった
「んッ?確かにそうだな」人間の田中君も釣られて笑っています。


・・・・・ちっぽけだけど、これでも田中君なんですよね。そう思おうと少し嬉しくなった。
車のシートに座り、もう一度軽く揺らしてみる。
小さな田中君が、少し迷惑そうに笑っている様な気がした。


※槇原敬之さんのアルバム“UNDER WEAR”の中の1曲“うん”をイメージして書いてみました。


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