「キャ~かなかな~」
そう言いながら、フルートと譜面を持った朝川が駆け寄ってきた。
「臨月なのに大丈夫なの?」
そう言いながら、朝川はヒグラシのはち切れそうなお腹を優しく撫でている。
「うん、別に激しい運動する訳じゃないし、お医者さんにも少し動いた方が良いって言われてるの」
確かに、お腹の子供は出産予定日を5日も過ぎていた。

ついに俺も親父になります。
こんばんは、モリヒデこと森山英雄です。
―――――――――12月23日(火)―――――――――
今日は、朝川が在籍している松舞町民アンサンブルのクリスマスコンサートを聴くために、ヒグラシと松舞文化ホールに来ています。
「なあ朝川さん、今日、颯太は?」
「芦川君ね、残業になったってさっきメールが来たの」
少し、寂しそうに口を尖らす朝川が、妙に可愛かった。
「ったく、颯太の奴は相変わらずだなぁ」
「でも、さすがノルマ達成記録更新中のエリートサラリーマンよね。毎晩、ビール飲んでゲームやってる人とは違うわ」
「ん?誰の事だよヒグラシ!」
「ふふっ、二人とも相変わらず仲が良いわよね。じゃあ、クリスマスコンサート楽しんでいってね」そう言いながら朝川は、楽団メンバーの集団に消えていった。

入れ替わりで今度は、楓と健吾が集団から抜けてきた。
「佳奈江さん、来て下さってたんですね。」
「うん、折角のクリスマスコンサートだからね、胎教にもなるし。」
「ヒデ兄、結局名前決まりました?」
「いんや、それが未だだに。男か女かも分らんし悩んじょうに。」
「お兄ちゃん、慌ててキラキラネーム付けんでよ。」
「折角だから、黄熊で『ぷー』とか、世界的鼠で『ミッキー』とか、考えてるんだが。」
「うわっ、それ将来絶対にグレますよヒデ兄」笑いながら健吾が、時計を見た。
「楓、そろそろチューニングせんといけん時間だわ、じゃあ佳奈江さんヒデ兄ごゆっくり」
「じゃあ、佳奈江さんお大事に。お兄ちゃんは、イビキかかんでよ。」
「俺、寝る事前提なんかよ!」
二人は、小走りで楽屋の方に消えていった。

「そろそろ、私たちも席に着こうかモリヒデ」
「そうだな」そう言いながら、俺はヒグラシの目の前に手を差し出した。
ヒグラシが少し微笑んで、俺の手を軽く握り締めた。

・・・・・・・
・・・・・!?
俺は、割れんばかりのカーテンコールで目が覚めた。
「・・・あれっ?コンサートは?」
「本当に寝てしまうんだから、信じられないわ」ヒグラシが少し呆れた顔しています。
「仕方ないだろう、こっちは年末の稼ぎ時で毎晩残業なんだから。」
「残業って言ったって7時には帰ってくるじゃないの。その後のゲームで寝不足なんでしょモリヒデは!あっ、ほらアンコール始まるよ」
俺は、背筋を伸ばして座り直した。

ドラムのカウントから、スローなバラードが始まった。
マジかよ、こんなの聴いたら、また寝てしまうだろうが。
不意にヒグラシが、俺の手を握りしめた。
「この曲、覚えてるモリヒデ?」そう耳元で囁いく。
・・・そう言われてみれば、聞き覚えの有るスタンダードナンバーだった。

朝川が、学園祭でやった曲?
そうあれは、確か高校1年の時だったかな。
他の女子生徒が教えてくれた。
あれ?あの子の名前、何だったっけ?

渡り廊下を渡っている時、4階からブラスバンドの演奏が聞こえてきた。
「朝ちゃん、頑張ってるね~」
「そうだな・・・あれ?この曲聞いた事有る・・・何て曲だっけ?」俺は上を見ながらヒグラシに聞いた。
「あ~確かに聞いた事有る・・・ジャズだよね、これ?」
「グレン・ミラーの、ムーンライト・セレナーデですよ。」その子が、少し恥ずかしそうに呟いた。
「そう、ムーンライト・セレナーデ! この曲、いい曲だよね」

有ったなぁ、そんな事。
あれっ?でもマジで名前が思い出せないや。
しかも、あの子ってそれ以外記憶が無いんだよな。

などと考えていると、ヒグラシがより一層俺の手を握り締めた。
「なんだよヒグラシ、俺はちゃんと起きてるぞ」そう言いながらチラッと横目でヒグラシを見ると、少し苦しそうな表情をしている。
「おい・・大丈夫かヒグラシ」
「つ・・・遂に始まったかも陣痛・・・」
「マジか。」
「うん、未だすぐに生まれるって感じじゃないけどね、ここ出たら病院直行パターンね。」
「と、取りあえず会場出ようか。」
「う、うん・・・そうしてもらうと助かるかも・・・」

俺は、一旦会場の方に眼をやる。
朝川や楓は、何となくヒグラシの表情に気がついたようで、軽く頷いていた。
俺も、それに軽くうなずき、静かにヒグラシの手を握って薄暗い階段を上った。

出口で後片付けを始めていた楽団のスタッフの女性に、簡単に事情を説明しヒグラシをソファーに座らせる。
「じゃあヒグラシ、車回してくるから、少し待ってろよ。」
「うん、ありがとうモリヒデ」
少し、後ろ髪を引かれながら、俺は駐車場に向かう。
空気は凛とした冷たさで、青白い月明かりがより一層寒く街を照らしていた。
こんな事なら、車に毛布の1枚でも積んでおけばよかったか。
俺はふっと思い出し、義母さんに携帯をかける。
陣痛が始まった事、このまま病院に向かう事を伝え、荷物の準備をお願いする。

ホールのエントランスに車を回すと、楓と健吾が待ち構えていた。
「来た来た、健吾!佳奈江さん達呼んできて。お兄ちゃんは、これ車に積んで。」
楓は手に毛布を掴んでいた。
「おっ、準備が良いな楓。」
「ホールの医務室で借りて来たの。そんな事より後ろのシートの荷物片付けてよね、お兄ちゃん。朝川さんも付いて行くんだから。」
「そ・・・そうか、朝川が一緒だと何かと助かるかも。」
「私と健吾も、ここの片付けが終わったら病院に向かうけんね。」

肩から毛布を被ったヒグラシが朝川に付き添われて出てきた。
「ゴメンねモリヒデ、大事になっちゃって。」
「そんな事気にしてる場合かよヒグラシ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。ねえモリヒデ、病院には連絡した?」
「あっ、義母さんには連絡したけど、病院に連絡してないわ。」
「森山くん、いいわ私が運転するから、森山くんは病院に電話して。」
「おっおう、助かるわ朝川さん。」
「少し落ち着きなさいよ森山くん、こんな時は男がしっかり構えてなくちゃあ、妊婦さんや産まれてくる赤ちゃんは、それ以上に大変なんだからね。」
「おっ、おう・・・」
普段はおっとりしている朝川が、珍しく厳しい口調だ。
俺は、スマホを取りだし、病院に電話する。

「・・・はい、じゃあ十分位でそちらにと到着しますので、お願いします。」
スマホをポケットに仕舞い、少し心配そうなヒグラシを見つめる。
「オッケー、お前の担当の先生、丁度当直だった。すぐ、病室手配するってさ。」
「・・・・・・」ヒグラシが無言で俺の手を握り絞める。
「大丈夫か、ヒグラシ?」
コックリ頷くヒグラシは、うっすら脂汗をかいていた。
「もう少しだから、もう少しだからな。」そう言って手を握ってやる事しか、俺は出来なかった。
朝川の言う通り、出産と言うのは男の存在なんてちっぽけな物になのかも知れない。

「着いたわよカナカナ。森山くんこのまま玄関横付けで良いの?」
「ああ、ストレッチャー準備して待機してくれているらしいから。」
玄関に車が着くと、看護師さんたちが手際よくストレッチャーを付けてくれた。
「森山さん大丈夫?もう病院着いたから、安心だからね。いい、立てる?」
「はい、立てます」弱々しくヒグラシが答える。
「じゃあ、ゆっくり立つわよ。ゆっくり、ゆっくり歩けば良いからね。」
「はいっ・・・あぁ!」
ヒグラシは、その場にしゃがみこんだ。
!?
何かを察した看護師が、少し慌てる。
「破水したみたい。一気にストレッチャーに乗せるわよ。」
看護二人がかりで、ヒグラシを抱き上げストレッチャーに乗せる。
「お父さん、お父さん!」
一瞬周りを見渡した。
「森山くんの事だよ」少し呆れたように朝川が教えてくれた。
「・・・あぁあ、はいはい。」
「出産準備品は用意して有ります?」
・・・産褥シートとか、そう言う奴だよな。
「今、義母さんがこっちに持って来ます。」
「じゃあお父さんは、とりあえず車を駐車場に入れて来て下さい。」
「お母さんは、このまま分娩室に入ります。」
「じゃあ森山くん、私、分娩室の前で待ってるからね」
「うん、頼むわ朝川さん」

俺は駐車場に車を回した。
相変わらず、月明かりが綺麗な夜だった。
クリスマスイブが誕生日になるのかな?
そう言えば、マジで名前を考えなきゃな。
俺は、テンパってる自分を落ち着かせるかの様に自問自答を繰り返す。
歩きながら、もう一度空を見上げる。
気が付いたら、ムーンライトセレナーデを鼻歌で歌っていた。
・・・セレナーデねぇ。
セレナなんて、可愛い名前かもな。
その瞬間、何かが俺の中で弾けた。
・・・あの子、せれなって名前だったなぁ。
俺の意思は固まった。
名前は「せれな」だ。
男の子だったら・・・
いや、絶対女の子が生まれる!そんな気がする。

俺の頭の中で、何か脳の奥底に隠れていた記憶がフラッシュバックの様に甦りスッと消えていった。
ただ、あの女の子が微笑んだのは、ハッキリと分かった。

♪♪♪
スマホが静かな駐車場に鳴り響く。
朝川からだ。
「ちょっと森山くん、何してるの? 早く早く、産まれるみたいで、カナカナが苦しんでるわよ。」
「うん、すぐ行く。」
俺は、スマホをポケットにしまい、走りだした。

※※※くりむぞんより※※※
最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございます。
(小夜曲)sérénade編は、パラドックス的要素を含んだストーリーです。
今回の話が、終着点であり始まりでもあるんですよね。

(小夜曲)sérénade編を描いてる途中に思い付いた構想を、8年越しで実現致しました。
当時、8年後までこのサイトが残っているか、話が続いいているか、はたまた自分が生きているか・・・色々、不安要素しか無かったのですが、無事に書き終る事が出来て一安心です。
1つの区切りがついたような気がします。
・・・・・・っと言っても、これからも不定期で更新して行きますが(笑)

これからも、そんな私の気まぐれにお付き合い頂ければと思います。
あっ、話の最後になりますが、メリークリスマス 明日が皆様の素敵なイブとなります様に。
2014/12/23 くりむぞん


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